高速のインターに古墳? 宮崎県・西都IC の謎

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古墳の町・西都市

西都原古墳群。古墳の近くには桜やコスモスがたくさん植えられ、観光客でにぎわう。

宮崎県の中央に位置する、西都市。

この地には「西都原古墳群」と呼ばれる、日本最大級の古墳群が広がっています。

西都原古墳群 古墳のある範囲(だいたい)。国土地理院撮影の空中写真(2008年撮影)を加工して作成

4世紀から7世紀にかけて、現存するだけでなんと319基もの古墳が造られました。

おおよそ南北3km、東西2km の範囲にわたって、大小さまざまな古墳が点在しています。

陵墓参考地(皇室にゆかりのある人物が埋葬されている可能性がある)である男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳のほか、日本では非常に珍しい、土塁が周囲にめぐらされた鬼の窟(おにのいわや)古墳などが有名です。1

鬼の窟(おにのいわや)古墳。土塁が廻らされている。

ちなみに「西都市」という名前、いかにも「古代には西の中心地でしたよ~」みたいな市名2ですが、近年よく見られる「キラキラ市町村名」(南ア○プス市、㈣国中央市など)ではありません3

航空写真にあの「鍵穴」が!

さて、本題に入ります。

西都市の玄関口となる、東九州道・西都インターチェンジの航空写真を下に載せます(一部途切れていますがご容赦ください)

東九州道・西都インターチェンジ。ごく普通のインターに見えるが…(国土地理院撮影の空中写真(2020年撮影)を加工して作成)

西都市の中心部から南に少し行ったところに西都ICはあります。

画像左下から上に向けて延びているのが高速道路の本線です。

中心の右下あたりにある料金所に向けて、本線の各方向から取り付け道路(ランプと呼ばれます)が通じており、上り線から出ているランプが円を描いています。

この形の IC は、その見た目から「トランペット型」と呼ばれており、日本中いたるところで見られます。

どこにでもあるような、ごく普通のインターチェンジのようですが、よーく目を凝らしてみると…

!!!

上り線ランプが描く円の中に、見覚えのあるものが!!

日本人なら、歴史の授業で誰もが教わる「前方後円墳」らしきものがあるではありませんか!!

しかも1基では物足りず、南北それぞれ違う方向を向いた古墳が2基あるのです!

国土地理院 色別標高図と標準地図を組み合わせて作成

色別標高図という、高さによって色が変わるを見ると、不鮮明ながらもあの「鍵穴」の形が見えます。

日本には星の数ほどインターチェンジがありますが、「古墳が取り込まれた」インターは聞いたことがありません。おそらくここが唯一の存在でしょう。

しかしこの一対の古墳、なぜこんなところにあるのでしょうか?

元からあった説

「ひょっとして、元から古墳があったのか?」

筆者は最初にそう考えました。

西都は古墳の町。西都原古墳群以外にも、三財古墳群や新田原古墳群など、一帯には他の古墳群も点在しています。

であれば、この「インターチェンジ古墳」も天然モノ(天然ではない)だとしてもおかしくはありません。

しかしその考えはすぐに覆りました。

国土地理院の「地理院地図」では、年代別の空中写真が手軽に見られるのですが、右の写真は1970年代に撮影されたものです。

西都 IC が開業したのは 2001 年と割と最近のことです。

東九州道が見る影もないのはもちろんのこと、写真左端には1984年に廃止された国鉄妻線が通っています。廃線跡は国道のバイパスの一部として活用されています。

例の古墳があるはずの場所を見ても、そこにあるのは田んぼもしくは畑だけ。古墳のコの字もありません。

よく考えたら、一対のきれいな前方後円墳が、きれいな 180° の互い違いに並んでいて、しかもその古墳に、高速の IC のランプがきれいに重なるように建設を計画される、なんていうのは出来すぎた話です。

ということで、ランプの古墳は少なくとも1970年代以降、そしてほぼ間違いなく2001年の西都 IC 建設に併せて造られた、というこがわかりました。

NEXCO西日本 に訊いてみた

念のため、古墳時代に造られたわけではないという確証を得るため、高速道路を運営する NEXCO西日本(西日本高速道路株式会社)に問い合わせてみました。

2001年当時、高速道路を管理していたのは「日本道路公団」と呼ばれる国の出先機関のような組織でしたが、現在では民営化され NEXCO となりました。

組織が変わったとはいえ、社員や各部局はそのまま NEXCO に引き継がれたため、当時の資料や建設時を知る社員さんなどがいるかもしれません。

ということで、NEXCO西日本 にメールで問い合わせをしてみました。

  • 西都 IC のランプの中にある古墳2基は昔からあったものなのか、それとも IC 建設に併せて造ったものなのか。
  • IC 建設に併せて造ったのであれば、どういう経緯で古墳を造ることになったのか。

1週間ほどしてから、NEXCO西日本 宮崎支社の方から電話がありました。4

電話だったので正確な文言までは覚えていませんが、おおむね下のようなことを返答いただきました。

  • 元々あった古墳というわけではなく、IC 建設に併せて植栽の一部として造られた。
  • 西都市は古墳が有名ということで、当時の建設担当部門が IC の設計に取り入れた。
  • より詳しい古墳建設の経緯は不明。

結論

ということで、世にも珍しい「高速ランプ内の古墳」は、

観光振興のために、インターチェンジ建設と同時に造られたもの

だと判りました(汗)

この「人工古墳」は、西都ICを利用するときに一応見えますが、上から俯瞰するわけではないので「あ、古墳だ!」と判るほどはっきり見えるわけではありません。

ですがよければ、高速を通った時に「あ、あれねーへぇ~」となる程度に、古墳を見てあげてはどうでしょうか(笑)

注釈

  1. 中国や朝鮮半島では多く見られるらしい
  2. 古代に日向国の中心だったのは確か
  3. もともと「斉殿原」(さいとのはる)と呼ばれていたのが「西都原」(さいとばる)に訛ったものとする説が有力です。
  4. 電話番号を書く欄に番号を入れていなければ、メールで返答をもらえていたかもしれない…

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